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仙台高等裁判所 昭和31年(ネ)398号 判決 1973年1月25日

控訴人

北上高次郎

右代理人

成田篤郎

外一名

被控訴人

畑中惣太郎

外一二名

右代理人

葛西千代治

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は、「原判決を取り消す。青森県下北郡大畑町大字大畑字小目名村五四番山林一四町一反歩(以下本件山林という)につき、控訴人が三四分の一の共有持分権を有することを確認する。訴訟費用は第一、二審を通じて被控訴人らの負担とする。」との判決を求め、被控訴人ら代理人は、「本件控訴を棄却する。訴訟費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

当事者双方の事実上ならびに法律上の主張および証拠の関係《以下、省略》

理由

一本件山林について青森地方法務局田名部出張所大正元年八月三〇日受付第一八六三号をもつて訴外北上助五郎外三三名の共有名義に所有権保存登記がなされていることは当事者間に争いがない。

控訴人は、本件山林は控訴人および被控訴人らを含む合計三〇余名の共有であると主張するので按ずるに、<証拠>(本件山林の登記簿謄本)の記載によると、前記保存登記は共有権者北上助五郎、北上辰兵衛、北上弥兵衛、畑中嘉七、畑中平七、山田源五郎、山本平之烝、山田嘉十郎、畑中弥惣助、畑中孫三郎、畑中久四郎、杉林孫助、北上幸助、北上勘次郎、北上三郎兵エ、山田弥之烝、柏谷市五郎、山田甚四郎、畑中勝治、畑中紋太郎、畑中佐右エ門、柏谷倉松、柏谷六郎兵エ、山田佐五兵エ、松本兵次郎、北上兼吉、松本平十郎、山田善太郎、山田弥十郎、山田長吉、畑中庄助、畑中順治、山田竹次郎、北上弥五右エ門が各三四分の一あての均等共有持分を有するものとしてなされていること、訴外山田銀蔵は大正三年一月二八日家督相続により山田弥之烝の共有持分三四分の一を取得したことを原因として昭和二七年七月一七日前示法務局出張所受付第一三七九号をもつて同持分の移転登記を経由し、さらに、控訴人は同月一六日山田銀蔵から同人の共有持分三四分の一を買い受けたことを原因として同月一七日前示法務局出張所受付第一三八〇号をもつて同持分の移転登記を経由していること、また、その他の共有権者についても共有持分の移転登記が度々行なわれ、現在、本件山林につき控訴人並びに被控訴人らおよび訴外北上卯之助、北上弥吉、畑中利三郎、畑中末松、山本末松、山田嘉一、北上鉱次郎、北上徳松、柏谷正夫、柏谷金助、山田倉松、山田喜代松、山本金作、畑中藤一郎、畑中利一郎、柏谷平吉、山田辰己、松本和一、北上松之助、山田善吉、畑中惣助、畑中貞次郎、山田清美、北上芳造、以上三八名の共有名義に移転登記がなされていることが認められる。

右認定した登記の記載によると、本件山林は控訴人および被控訴人らを含む共有名義人三八名の共有に属し、控訴人はその三四分の一共有持分権を有するものであると推定されるが如くである。

しかし、<証拠>によると、本件山林の保存登記上、当初の共有権者として登載されている者のうち、山田源五郎は明治三九年一〇月一八日、山本平之烝は明治三九年六月九日、北上三郎兵衛は明治三二年一二月一二日、山田弥之烝は明治二四年三月一四日、山田甚四郎は明治二五年五月三〇日、北上兼吉は明治三五年一二月一日、松本平十郎は明治三〇年一〇月一六日山田弥十郎は明治四四年三月二八日、畑中順治は明治四四年三月二七日、山田竹次郎は明治三三年二月二四日にそれぞれ死亡していること、また、山田嘉十郎は明治四四年八月二七日、畑中久四郎は明治二七年九月八日、北上勘次郎は明治四二年一月一三日、畑中勝治は明治三二年七月二七日、畑中紋太郎は明治四一年七月二三日、畑中庄助は明治三三年九月五日に、北上弥五右エ門は明治三五年九月一八日にそれぞれ各相続人によつて家督相続が開始されていることが認められる。

そうすると本件山林につき前記保存登記がなされた大正元年八月三〇日当時、共有権者として登載されている前示三四名のうち半数に当る一七名は、既に死亡または家督相続が開始されていたことは明らかであるから、このような者達が真実本件山林の個人共有持分権を取得したと解することができるかどうか極めて疑わしいものといわざるをえない。

のみならず、被控訴人らは、本件山林は単なる個人共有山林ではなく、往昔より現在に至るまで小目名部落民の入会権の目的となつている同部落所有の入会山である旨主張するので判断する。

<証拠>を合わせ考えると、本件山林は、古来から青森県下北郡大畑町大字小目名村の部落(字奈良木平部落を含み、小目名村部落とも小目名部落ともいう。)において村山と称され、従来から小目名部落に居住していた一家の戸主で村経費を負担する者および分家後一五年以上経過し、部落寄合(部落民全員の集会)において承認を受けた分家の戸主は、本件山林についてその産物を採取し、または産物を処分して得た金員の分配を受けることができること、右権利は小目名部落に居住している間に限つて認められ、部落住民が家をたたんで部落外に転出(離村)したときには、本件山林に対する一切の権利を喪失し、再び帰村したときはその権利を回復すること、右の権利はこれを売買譲渡することができない等のならわし(慣習)が古くから行なわれてきたこと、ところが昭和一五年ころ、分家後一五年以上を経過し右旧慣によつて権利を認められるに至つた者達から、右権利を登記しなければ後日登記がないことを理由に権利を否定されては困るから登記手続をして欲しい旨の申出がなされ、部落の元老達は登記がなくとも昔から権利があることに決つているから何ら心配するには及ばないと説得したが納得をえられず、結局右申出を尊重し、これを書類に書き置くことになり、同年五月一九日部落総代松本末太郎方において同部落全員の集会を開き、同集合において、前記のような「ならわし」(慣習)の存在することを確認し、かつ、全員が右慣習に従うべきことを誓約した旨を記載した記録(乙第一号証の旧家記録帳)を作成するに至つたこと、昔から部落民は共同かつ平等的立場で自由に本件山林に立入り新材などを採取してきたし、また部落の神社、寺院、学校、橋等の新築や修理には右山林の立木を伐採して使用してきたこと、本件山林の公租公課は、部落民の積立金から部落総代がこれを納付してきたこと、以上の事実が認められ、<証拠判断・省略>

右認定した事実によると、本件山林は小目名部落所有の同部落民の入会山であり、民法にいう共有の性質を有する入会権の目的となつているものと認めるのが相当である。

二1  控訴人は、本件山林について共有持分の保存登記がなされていることを挙げ、本件山林は個人共有林であつて入会山ではないと主張する。

しかし、登記簿上本件山林が三四名の共有に保存登記されているからといつて必ず個人共有であると断定しなければならないものではない。なんとなれば、共有権者として登記されている者のうち半数の一七名は保存登記当時既に死亡あるいは相続人によつて家督相続が開始されていたことは前記認定したとおりであつて、右保存登記自体必ずしも共有者全員の意思に基づくものとはいい難く、その反面、被控訴人ら主張するが如きいわゆる村中入会即ち民法にいう共有の性質を有する入会権にあつては、入会地の地盤は実質的には部落(入会集団)の所有(総有)というべきであるが、公簿上独立の権利能力を認められていない部落の所有として記載することとは疑義がある関係上、公簿上便宜部落民(入会権者)全員の共有名義または部落を代表する部落民数名の共有名義もしくは右代表一名の単独名義にすることはしばしば行なわれてきたところであるから、当初から共有持分に差等のある場合等部落所有(総有)とすることに矛盾する記載ある場合は格別、登記上単に共有名義になつているからというだけで、これを個人共有であつて部落所有でないと断定するのは妥当ではない。殊に、前記保存登記当時、既に死亡または家督相続の開始された者が共有名義人として登記されていることよりみれば、右保存登記時における小目名部落住民(入会権を有する家ないし世帯の代表名義人)が少くとも三四名以上存在し、そのうち三四名の名義をもつて保存を記をしたことは本件弁論の全趣旨から明らかであつて、右のような部落有財産に対する公簿記載の実状に鑑み、むしろ単純な個人共有ではなく部落所有(総有)であるとの推定が働くと考える余地さえある。これを要するに、登記上前記三四名の共有名義であるからといつて、本件山林が小目名部落民の人会的共有(総有)である旨の前記認定を覆す証左とすることができない。

2  次に、控訴人は、本件山林と五六番、五七番両山林の各登記簿上の共有者として登載されている者が一部相違しており、かつその人数も一致しないことを挙げ、本件山林は入会山ではなく、他の二山林と同様個人共有に属するものであると主張する。

ところで、被控訴人らにおいて、本件山林に隣接して五六番および五七番の両山林があり、右両山林が本件山林同様入会山であると主張してきたことは、本件訴訟の経過に照し明らかである。そして、<証拠>を対比すると、右各山林の共有権者として登載されている者が一部相違し、その人数も同一でないことが認められる。しかし、右<証拠>によると、五六番、五七番同山林につき保存登記がなされたのは昭和四三年一月一九日であり、農商務省(国)から上林藤右エ門に売買を原因として所有権移転登記がなされたのも同日であり、上林藤右エ門から部落民山田佐五兵衛外三一名の共有名義に取得登記されたのは明治四三年二月二四日であつて、本件山林の保存登記(大正元年八月三〇日)は五六番、五七番山林のそれより一年半余も後になつていることが認められる。そうすると、その間に権利者に変動を生ずることは当然考えられるのみならず、本件山林の当初の共有名義人に当時現実に生存しあるいは家長の地位になかつたものも含まれていることは前記認定したとおりであるから、本件山林につき当初の共有名義人とせられた者が五六番、五七番両山林の共有名義人と多少の差異のあることは当然とさえいえる。そのうえ、特定の山林が入会の目的となつているか否か、誰れが入会権を持つているかを決する最も重要な点は、その山林の実際の利用関係如何ということにあることはいうまでもないところであつて、一定地域の住民が、その住民たるの資格において、一定の山林原野等で、その産物の採取等の収益を共同してするという古くからのしきたり(慣習)があり、それが入会権であると認められる限り、その山林原野の登記簿上の共有名義人が仮令相違していたとしても、このことから直ちに右のような入会慣行を否定することは相当ではない。

殊に、<証拠>によれば、五六番、五七番両山林は一旦農商務省有(国有)となり、官民の部分林となつた後、さらに部落民に売り渡されていることが認められるから、五六番、五七番両山林は藩制当時から小目名部落民が入会つていた山林であり、右両山林とも入会権の目的となつていたことは明らかである。なんとなれば、明治七年から土地官民有区分がなされたことは顕著な事実であり、その際、入会林野で官地に編入されたものがあり、その後、入会権者による入会権の主張、入会地の回復が叫ばれ、当時の政府において入会慣行の黙認、縁故払下等の方法によつて入会地の復活を認めるに至つたものも少くなく、<証拠>によれば、五六番、五七番両山林は正に右のような経過を辿つたものと推認しうるからである(明治の後期、部分林制度が法制的に整備されるとともに、一旦部分林となつたが、旧慣による入会権が認められ、部落民に縁故払下となつた事例が尠くない。)。しかも右両山林は国より一旦上林藤右エ門に払下げられているが、その後間もなく同人より部落民(登記簿上は三二名の共有名義人。)に売渡されたことになつていることからしても、右払下げは一時の便法に出たものであり、実際は部落民の入会権を認めて部落民に払下げられたものであることを窺知し得る。

<証拠判断・省略>

そうだとすると、本件山林および五六番、五七番両山林がともに同様な入会慣行があつたということは首肯しうるところであり、右各山林の登記簿上の共有権移転の経過、共有名義人の差違にもかかわらず、各山林には同一入会権の慣行があつたことは明らかというべきである。また、仮りに五六番、五七番両山林が入会山ではないとしても、そのことから直ちに本件山林が個人共有のものに係るものとは断定しがたい。

3  また、控訴人は、青森県下北郡大畑町大字大畑字明神平一番一号原野西町七反五畝一歩は本件山林と同様の権利関係にあるものと解せられるところ、右明神平一番一号原野は現在分割され各個人所有となつている点からみても、本件山林は入会山ではないと主張する。

ところで、右明神平一番一号原野四町七反五畝一歩が現在分割され各個人の単独所有となつていることは当事者間に争いがなく、<証拠>を総合すると、昭和一七年ごろ青森県から右明神平一番一号の原野を水田化するよう勧奨を受け、小目名部落民において耕地整理法に基づき開田したうえ、当時の入会権者全員の総意により一人当たり約二反歩あてに分割して各権利者が各自単独所有することになり、昭和一八年三月二二日その旨の登記を経由したことが認められる。

ところで、部落民の入会の目的となつている部落有山林といえども、部落民(入会権者)全員の同意がある場合には、入会関係を解消してこれを分割し各個人所有となしうるものと解せられるから、明神平一番一号原野が現在分割され各個人の単独所有になつているからといつて、本件山林が入会山でないと断定することはできない。

4  控訴人は、畑中亥之助、柏谷銀蔵、北上末吉が明治二〇年当時、小目名部落に一家の戸主として居住していた住民でありながら、大正元年八月三〇日本件山林の保存登記がなされた当時の共有権者でないばかりか入会権者とも認められなかつたのは、本件山林が入会山でなかつた証左である旨主張する。

ところで、畑中亥之助、柏谷銀蔵、北上末吉の三名が本件山林の保存登記上共有名義人となつていないことは前記認定した事実に徴し明らかである。

しかし、入会権は部落に居住する住民全部がこれを有するものではなく、部落の住民で一戸を構える家の(主宰者である)戸主または世帯主としての資格を有する者だけがこれを有し、その家族や使用人は戸主または世帯主の権利の補助者または代行者として使用収益し得るのが普通である。本件の小目名部落においては、従来より小目名部落に居住する同部落民で一家の戸主である者および分家した者でも分家後一五年以上経過し部落寄合において承認を受けた場合に限り本件山林に関する入会権を認められ、同部落から転出した者はその権利を失い、右関係以外の分家、転入者は本件山林に関する右のような権利がないとの「しきたり」すなわち慣習が行なわれてきたことは前記認定したとおりであつて、本件にあらわれた全証拠によるも、畑中亥之助、柏谷銀蔵、北上末吉の三名が本件山林につき前記保存登記のなされた大正元年八月三〇日当時、右しきたりにいう入会権者であつたと認めるに足りない。

そうすると、右三名が本件山林の保存登記上当初の共有名義人として登載されておらず、かつ、右保存登記当時右山林の入会権者でなかつたとしても、右山林が入会山でないとの論拠にはならない。

5  控訴人は、被控訴人らは分家した者でも分家後一五年以上経過し部落寄合の承認を得た者は入会権者となる慣習があるというけれども、そのような事例はないと主張する(右主張は、要するに、右のような事例はないから、従つて被控訴人ら主張のような慣習は存在しないとの趣旨に解せられる。)。

しかし、<証拠>を総合すると、畑中亥之助は、本件山林の当初の共有名義人畑中嘉七(同人は小目名部落から転出して北海道に移住したため、前記認定の慣習により本件山林に関する入会権を喪失した。)から大正一一年七月一七日共有持分権の譲渡を受けたことを原因として同持分の移転登記を経由するとともに、そのころ小目名部落(入会集団)寄合の承認を得て新たに入会権者たる資格を認められたこと、また、昭和二七年一二月八日開催された部落寄合において、分家後一五年以上経過し小目名部落に居住する者のうち北上幸吉、畑中市之助、北上長三郎、柏谷清五郎、山田八十八、畑中菊松、北上久三郎、山田善次郎らが新たに入会権者として承認されるに至つたことが認められる。

右認定した事実によると、小目名部落においては、古来からの部落のしきたりに従い、新たに本件山林に関する入会権者を承認した事例の存することが明らかであるから、この点に関する控訴人の主張は理由がない。

6  控訴人は、本件山林が入会山であるならば、入会権は登記なくして第三者に対抗しうるのであるから、本件山林につき保存登記をする必要がないのにもかかわらず、右のような保存登記がなされ、かつ、その後共有持分権の移転登記がなされている点からみても、本件山林は入会山ではないと主張する。

ところで、不動産登記法第一条に列挙していない入会権は登記できないけれども、民法第一七七条は登記法に列記した物権については登記しなければ第三者に対抗することができないことを規定したまでであつて登記できない物権が絶対に対抗力をもたないことを定めたものではないから、民法において入会権を物権と認めた以上、その権利の性質上登記がなくとも当然第三者に対抗することができるものであると解すべきこと所論のとおりである。

しかし、法律上入会権は登記なくして第三者に対抗できるからといつて、法律に無知な農民が共有の性質を有する入会権すなわち入会権者の入会的共有(総有)に属する地盤につき保存登記をしたことを目して直ちに不必要、不合理であると断ずることはできない。小目名部落民が本件山林につき共有の性質を有する入会権を有することは前記認定したとおりであつて、前記保存登記当時の入会権者である部落民たちは、入会権の目的になつている部落民の入会的共有(総有)に属する本件山林にとつて、前記三四名の共有名義に登記することが最も実情に適しかつ合理的と判断した結果、そのような保存登記をしたものと推察し得られないではない。

そうすると、三四名の共有名義に保存登記をしたことをもつて、直ちに本件山林が入会権の目的となつていないということはできない。

また、<証拠>によると、前記保存登記がなされた大正元年八月三〇日から昭和四三年六月一九日までの間における本件山林の共有持分の移転登記がなされること七一回に及び、その内相続による移転が四一回で、そのうち小目名部落以外に住所を有する北上松五郎、畑中幸太郎、畠山福三郎、山本兼松が相続をした場合には、それぞれその旨の移転登記をした後、直ちに(同日)小目名部落に住所を有する北上初治、畑中藤助、山田佐太郎、山本末松に更に移転登記がなされていること、および、小目名部落以外に住居を有する者で本件山林の共有持分を相続以外の原因例えば売買、贈与等で移転を受けてその登記をなした者は田中富太郎、椛沢熊吉、松本和一、山本千代太の四名であることが認められる。

しかし、田中富太郎は後記7において認定する如き理由により、小目名部落に住所を有する畑中藤助にその登記を移転していることが認められる。

また、<証拠>によると、松本和一は昭和一二年九月三日小目名部落から大畑町大字大畑字本町に転居した後(したがつて、小目名部落の入会慣習により本件山林に関する入会権を喪失した後)同年一二月八日本件山林の共有持分を大畑町大字大畑字新町に居住する椛沢熊吉に売り渡し、さらに昭和一六年一二月一五日これを買い戻しにものであることが認められる。

さらに、山本千代太については、<証拠>によれば、小目名部落を去つて五〇年を経過する山田甚四郎の持分が相続と贈与によつて小目名部落に居住しない山本千代太に移転したものであるところから、昭和二七年一二月八日開催の小目名部落寄合において部落の慣習上かかる権利の取得は認められないとして、同人が本件山林につき入会権なきものとして処理する旨決議されていることが認められる。

そうすると、田中富太郎、椛沢熊吉、松本和一、山本千代太らに本件山林の登記上の共有持分の移転登記がなされているという外形的事実のみから、たやすく本件山林が入会山でないと速断することはできない。

7  控訴人は、本件山林の権利者である畑中勝四郎が他村の田中富太郎に対する借財のため右山林の持分につき抵当権設定登記をなし、さらに同人に共有持分権の移転をしている点からみて本件山林は個人共有林であつて入会山でないことが明らかである旨主張し、<証拠>によると、登記簿上本件山林の共有権者として登載されている畑中勝四郎が部落外(下北郡田名部町大字田名部字明神町三三番二号地)に居住する田中富太郎に対する金一〇〇円、弁済期大正一四年四月三〇日、利息金一〇円につき一カ月二五銭の約定の債務を担保するため本件山林の共有持分権につき抵当権の設定を約したことを原因とし、青森地方法務局田名部出張所同年二月一七日受付第二四三号をもつて抵当権設定登記並びに同出張所大正一五年二月一九日受付第三一二号をもつて同日付売買を原因として田中富太郎のため同持分の移転登記がそれぞれ経由されていることが認められる。

しかし、<証拠>を総合すると、田中富太郎は入会権者畑中勝四郎に対する前記債権を担保するため、同人の本件山林に対する共有持分権に抵当権の設定を受け、さらに後に右持分権の譲渡を受けた形式をとり、それぞれその旨の登記を経由したが、後日、小目名部落総代畑中藤助から、本件山林の権利は小目名部落民以外の者はこれを取得することができないという古くからのしきたり(慣習)があるので、同人が取得した右各登記を小目名部落に返還して欲しい旨の申入を受け、これを了承し、大正一五年九月一三日抵当権設定登記の抹消登記をするとともに、前記移転登記を受けた共有持分権を小目名部落に無償で返還し、同部落の当時の総代であつた畑中藤助名義に移転登記をしたことが認められる。

右認定した事実に徴すれば、却つて本件山林が小目名部落民の入会権の目的となつていた一証左とさえ認められるから、控訴人の右主張は理由がない。

8  控訴人は、北上弥吉、松本和一、山田善吉、畑中藤一郎は小目名部落より離村後に本件山林の立木の売却処分代金の分配にあづかつている点、北上弥吉は離村後も共有権者の代表として本件山林の地租税を支払つている点等からみて、小目名部落から転出した者は入会権を失なう旨の慣習が存在する旨の被控訴人らの主張は矛盾撞着も甚しく、したがつて本件山林は入会山ではないと主張する。

<証拠>によると、本件山林の共有持分権者として登記簿に登載されているが小目名部落から転出し、当時同部落に居住していなかつた北上弥吉、松本和一、山田善吉、畑中藤一郎が、本件山林の立木を売却処分して得た金員から一人分として昭和二七年八月から同年一二月までの間にいずれも金一五万六、七〇〇円宛の配分を受けていることが認められる。

しかし、<証拠>および本件弁論の全趣旨とを合わせ考えると、小目名部落においては小目名小学校建設資金に充てるため昭和二七年五月ころ本件山林に生立する松、杉、雑木等の立木のうち金一八〇万円相当の立木を売却処分したところ、本件山林につき共有持分権者として登記されているけれども当時小目名部落から転出し、同部落には居住していなかつた北上弥吉、松本和一の両名から大湊簡易裁判所に対し、被控訴人畑中なみ並びに訴外北上留之助、畑中理三郎、北上弥七、畑中亥之助、畑中平七、山田源五郎、山本平之烝、山田嘉一、畑中文五郎、畑中佐吉、杉林孫助、北上鉱次郎、北上徳松、北上三郎兵衛、山田弥之烝、柏谷市五郎、山田甚四郎、畑中藤一郎、畑中佐右エ門、柏谷平次郎、柏谷六郎兵衛、山田力松、北上兼吉、松本平十郎、山田弥十郎、山田長吉、畑中惣助、畑中順治、山田竹次郎、山田善次郎を相手方として、右売得金の分配を要求する調停の申立がなされ、その調停勧試の席上、右被控訴人を含む相手方らは、本件山林は入会権の目的となつている入会山であり、申立人らは離村したことによつて入会権を喪失したものであるから同人らの要求には応じられない旨主張したのであるが、当時、小目名部落の入会慣習を証する旧家記録帳(乙第一号証)が見当らなかつたこと、これに対し北上弥吉、松本和一らは、「入会慣習を証する証拠があればそれを提示せよ、そうすれば本件山林が入会山であるとの言分を認めて分配要求を止めるけれども、それがない限り、本件山林は登記上共有権者と登載されている者たちの個人共有であり、あくまでも売得金の分配を要求する、たとえ調停が不調となつても訴訟を提起してでも右要求を貫徹する。」との態度をとつたこと、そこで、部落民たちは部落内の平和を維持し混乱を避けるため、やむなく同年六月一八日の調停期日において、相手方らは申立人北上弥吉、松本和一に各金五万円あて支払うことを約することを内容とする調停が成立し、その旨の調停調書(甲第三号証)が作成されたこと、その後、小目名部落では同年八月ごろ本件山林の立木を畑中丈助らに売却処分したが、その際、売却代金を配分するにつき、右調停成立の事情に鑑み、再び裁判沙汰などの問題の起ることのなきことを考慮して北上弥吉、松本和一の両名および小目名部落に居住しないが本件山林について共有持分の登記を有する山田善吉、畑中藤一郎にも各金一五万六、七〇〇円あて分配したものであること、ところが昭和二八年九月に至つて、部落民により偶然にも前記旧家記録帳が小目名部落の産土神社である大山祗神社の掛額の裏側に置かれていたのが発見され、それ以後は、小目名部落では同部落に居住しない者は本件山林に対する権利を失なうとの態度を堅持するに至つたことが認められ、その認定を覆すに足りる証拠はない。

右認定した事実によれば、小目名部落において本件山林の立木処分代金を同部落から既に転出し、同部落に居住していない北上弥吉、松本和一らの要求に応じ同人らに分配したのは、本件山林についての古来からの慣習を記載した前記旧家記録帳が当時見つからなかつたためと、同人らが訴訟を提起してでも要求を貫徹するとの態度であつたため、同人らとの紛争を避けるため、やむなくとられた妥協の結果であつたことが窺われるから、右配分の事実をもつて直ちに本件山林が個人共有林であつて入会山でないとするのは相当でない。

また、<証拠>を総合すると、北上弥吉は昭和一〇年九月一日、小目名部落(奈良木平部落を含むこと前記認定したとおりである。)から転出したのであるが、たまたま同人が本件山林の登記簿上共有名義人の一人になつているところから大畑町から同人宛てに本件山林の昭和一六年度、昭和二〇年度の各地租、地租付加税納税告知審が送付されたこと、そこで同人はこれを小目名部落の当時の総代であつた松本末太郎に示し、同部落の積立金の中から右租税相当額の交付を受けたうえ、これをもつて右税金を納付したことが認められる。

そうすると、右認定した事実によれば、小目名部落からの転出者北上弥吉は小目名部落の積立金から地租税を支払つたことが明らかであるから、本件山林の入会権の得喪に関する前記認定と矛盾するものと解することができない。

9  控訴人は、本件山林の管理方法等につき縷縷主張しているが、右主張の要旨は、本件山林の立木処分の結果得られた利得を登記簿上共有権者として登載されている者の間で分配しているから、本件山林は共有名義人の個人共有であつて入会山ではないと主張するものと解せられる。そこで右主張について順次判断する。

<証拠>を総合すると、大正一一年ころ本件山林に生立する杉立木の一部が石塚辰之助に、栗立木の一部が枕木として畑中金作にまた、大正一四年ころ前記明神平山林の雑木が小泉茂三郎に、さらに昭和一五年始めころ、本件山林の雑木の一部が新炭材として佐藤平五郎にそれぞれ売却されたことが認められる。<証拠判断・省略>

また、<証拠>によると、松本和一は昭和一二年九月三日小目名部落から大畑町大字大畑字本町に転居した後、同年一二月八日、本件山林の共有持分権を大畑町大字大畑字新町に居住する椛沢熊吉に売り渡し、その旨の登記を経たが、昭和一六年一二月一五日再びこれを買い戻し、その旨の登記を経由していることが認められる。しかし、<証拠>中には、昭和一五年始めごろ本件山林の雑木が新炭材として佐藤平五郎に売却された際、同年のお盆のころ、松本和一において売得金のうち金一八〇円の配当金を受領し、これを当時登記上の共有権者たる椛沢熊吉に交付した旨の供述があるけれども、昭和一五年五月ころには乙第一号証の旧家記録帳に前記認定した誓約が記載され、かつ右証人松本和一の証言によれば右記録帳中松本和一の氏名拇印は同人の自署と拇印であり、また甲第二号証の調停調書によれば松本和一は昭和一五年から以降配当を受けていない旨を申し立てているのであるから、これらの事実と対比すると前記各証言はにわかには措信できない。また、当審証人北上弥吉の証言(第三回)中には、甲第三九号証(昭和一五年五月二〇日付椛沢熊吉作成名義の金一八〇円の受領証)は自分が代表者として椛沢熊吉本人に渡さなければならなかつたが、そのまま渡さないでおいた旨の供述部分があり、右証言自体極めて不自然であるのみならず、北上弥吉が昭和一〇年九月一一日小目名部落から転出したことは前記認定したとおりであるから、右証人の右供述部分並びに甲第三九号証が真正に成立したことは極めて疑わしいものといわなければならない。

さらに、<証拠>によると、昭和二七年八月ころ本件山林の立木が畑中丈助らに売却処分せられた際、その売得金のうちから畑中権蔵、北上ユキ、柏谷清五郎、北上亀寿に対し各金一万一〇〇円宛て配当されたこと、北上ユキを除く畑中権蔵、柏谷清五郎、北上亀寿は当時小目名部落から転出離村していたことが認められる。しかし、小目名部落に居住する者(例えば北上ユキ)が当然に本件山林に関する入会権者となるものでないことは前記認定説示したところから明らかである。

もつとも、入会権者でない一般部落民、あるいは部落から転出した者に対し、人会山林の産物ないしはその売得金を絶対分配してはならないものと解することはできない。部落寄合(入会集団の総会)において、産物の処分、代金の分配方法等自由に決しうるところであり、入会権者以外の者例えば永年部落に居住しているが入会権者でない者、あるいは部落から転出したため入会権を失つた者に対し、諸般の事情を考慮して立木処分代金の一部を分配することを決し、それに従つて配当したからといつて、本件山林が入会山でないということにはならない。

以上、これらの諸点に関する控訴人の主張は理由がない。

10  控訴人は、入会山は秣山、柴草山、新炭山等において往々見受けられるところであるが、本件山林のように杉、松、檜の立木の所有を目的とするかのような入会権は認められないと主張する。

ところで、もともと山林原野の入会は、農民の居住する部落の経済的立地条件による生存権的な要求にもとづく林野の地上産物の自給、現物経済的な利用として推移してきたことは明らかである。しかし、経済の発展に伴ない自給自足経済的に必要な現物を入会林野から採取していたことから貨幣経済へと漸次転換するに伴ない農民の生活様式も変わり、入会林野もこれに応じて変化を遂げることのあることは当然の推移である。農民が入会林野を生活に必要な現物を採取するためではなく、生活に必要な現物を得るため、入会林野に杉、松等の人工林を植裁し、あるいはこれらの自然林を育成し、植裁育成された立木を、部落民が現物で分配することもないわけではないが、この立木を売つて現金化し、その現金を分配するに至ることは稀有な例ではない。入会林野を何の目的で使用するかは部落民が決めることであり、入会権の利用目的の範囲について何らの制限もないことは明らかであつて、入会林野を人工的に利用したり、人会林野から現金収入を得てはならないという理由はない。社会の経済の発展に伴ない入会林野の利用目的や利用方法が変わるのは当然である。したがつて、入会林野は草刈りや薪取り、あるいは放牧などに使用するものに限定されるとする控訴人の主張は到底採用できない。

なお、控訴人は、被控訴人らが本件山林を大正元年から所有するに至つたものであると主張するが、それは保存登記がその年代になされているだけであつて、部落民が本件山林の管理使用収益を開始したのが大正元年からであるという証拠とはならない。従つて、それ以前には入会慣行がなかつたという控訴人の主張は採用できない。

さらに、控訴人は、本件山林が部落有ないし区有財産であるとすれば、すべて所轄市長村長に引き継がれ、当該市町村議会の決議を経なければ売却等の処分ができないにもかかわらず、毛上の売却処分等につき一切これらの手続に従つていないから、このことは本件山林が個人共有であることの証左にほかならないと主張する。

しかし、本件山林が共有の性質を有する入会権の目的となつていること、その地盤は入会権者である小目名部落民の入会的共有(総有)に属するものであることは前記説示認定したとおりである。地方自治法上財産区に関する諸規定は、地方公共団体の所有する財産に関するものであり、私人の所有(入会的共有)に関するものでないことは明らかであるから、本件に適用の余地のないことも明らかである。

控訴人のこの点に関する所論は、本件入会権の本質または地方自治法を正解せざるものか、または独自の見解に立つかのいずれかであつて、到底採用できない。

11  控訴人は、大湊簡易裁判所昭和二七年(ノ)第三二号共有物売却代金請求民事一般調停事件において同年六月一八日成立した調停条項によると、相手方らは申立人らが本件山林につき共有持分権三四分の一あてを有することを認めているのであるから、本件山林は個人共有林であつて入会山でないことは明らかであり、本件当事者双方は勿論、裁判所も右調停条項に拘束されるべきである旨主張する。

ところで、<証拠>によると、申立人を北上弥吉、松本和一、相手方を被控訴人畑中なみ並びに訴外北上留之助、畑中理三郎、北上弥七、畑中亥之助、畑中平七、山田源五郎、山本平之烝、山田嘉一、畑中文五郎、畑中佐吉、杉林孫助、北上鉱次郎、北上徳松、北上三郎兵衛、山田弥之烝、柏谷市五郎、山田甚四郎、畑中藤一郎、畑中佐右エ門、柏谷平次郎、柏谷六郎兵衛、山田力松、北上兼吉、松本平十郎、山田弥十郎、山田長吉、畑中惣助、畑中順治、山田竹次郎、山田善次郎とする大湊簡易裁判所昭和二七年(ノ)第三二号共有物売却代金請求民事一般調停事件において、同年六月一八日相手方らは申立人らが本件山林につき各自三四分の一の共有持分権を有することを確認する旨の条項を含む調停が成立したとして、その旨記載されている調停調書が作成されていることが認められる。

しかし、右調停が成立するに至つたのは前示8項において認定したような事情、経緯に基づくものであるうえ、<証拠>によると、右調停調書上、調停成立の際出席したと記載されている前記相手方三一名のうち次の二二名すなわち、北上留之助は昭和四年八月七日、畑中理三郎は昭和二三年七月五日、畑中平七は大正六年九月二一日、山田源五郎は明治三九年一〇月一八日、山本平之烝は明治三九年六月九日、畑中文五郎は昭和一六年八月四日、杉林孫助は大正五年七月二二日、北上三郎兵衛は明治三二年一二月二二日、山田弥之烝は明治二四年三月一四日、柏谷市五郎は昭和五年九月一五日、山田甚四郎は明治二五年五月三〇日、畑中佐右エ門は昭和六年一月三一日、柏谷六郎兵衛は大正五年八月二六日、山田力松は昭和一〇年一一月一四日、北上兼吉は明治三五年一二月一日、松本平十郎は明治三〇年一〇月一六日、山田弥十郎は明治四四年三月二八日、山田長吉は大正一五年三月二七日、畑中順治は明治四四年四月二七日、山田竹次郎は明治三三年二月二四日、山田善次郎は昭和二一年八月九日にそれぞれ死亡していること、畑中藤一郎は当日出頭していなかつたことが認められ、<証拠判断・省略>

右認定した事実によれば、前記調停は相手方三一名のうち二二名の者が当時死亡ないし欠席していたものであり、また出席したものが小目名部落の入会権者全員でないことは弁論の全趣旨に徴し明らかであるから、その総意によつて成立したものでないといわざるをえないのみならず、右調停事件の当事者と本訴の当事者が異なるものであることは明らかであるから、前記調停上の合意の効果が被控訴人ら並びに当裁判所を拘束すると解することができない。したがつて控訴人の右主張は採用できない。

12  最後に、控訴人は、入会権者の一部にすぎない被控訴人らが本件山林は入会権の目的となつているといつて抗争することは、入会権が一定の部落民に総有的に帰属するものであり、その確認を求める訴訟は権利者共同で提起しなければならない固有必要的共同訴訟であることからいつて許されないから、被控訴人らの右主張はそれ自体失当である旨主張する。

ところで、入会権は権利者である一定の部落民に総有的に帰属するものであるから入会権の確認を求める訴は、入会権が共有の性質を有するかどうかを間わず、入会権者全員で提起することを要する固有必要的共同訴訟である(同旨・最高裁判所昭和四一年一一月二五日第二小法廷判決)こと所論のとおりである。

しかし、被控訴人らは、控訴人が被控訴人らを相手どつて提起した本件共有持分確認の訴えにおいて、確認を求められる相手方(被告、被控訴人)として応訴し、その防禦の方法として、本件山林の法律的性質は共有の性質を有する入会権であると主張しているのであつて、本件山林が入会権の目的となつていることの確認請求または入会権の存在を前提とする請求(控訴人の本訴とは別個独立の訴えまたは反訴)しているものでないことは明らかである。必要的共同訴訟であるかどうかは訴訟物によつて決定される問題であつて、被告側の攻撃防禦の方法如何によつて決定されるものではない(攻撃防禦方法はそれが理由がなければそれに応じた不利益を被るだけであり、その提出にそついては原則的に当事者の自由な意思に委ねられているものである。)。本件の場合、被控訴人らの被告適格については別段問題はないのであるから、被控訴人らは自由に攻撃防禦の方法を提出し得べきものであり、入会権者全員が当事者となつている場合でなければ入会権の主張をなし得ない理由は全くないものといわなければならない。控訴人の右主張は前掲最高裁判決の趣旨を正解せざるものとして到底採用できない。なお、被控訴人の一人であつた北上卯之松が被控訴人の本訴請求を認諾していることは本件記録上明らかであるが、そのために他の被控訴人らが入会権の主張をなし得ないものではない。

三以上説示したところによれば、本件山林はその登記簿上の記載にも拘らず、小目名部落所有の同部落民の入会山林であり、共有の性質を有する入会権の目的となつていることは明らかである。そうすると、控訴人が、本件山林は入会山林ではなく単純なる個人共有山林であるとし、その三四分の一の共有持分権を有することの確認を求める本訴請求は、その余の点について判断するまでもなく理由がないものといわなければならない。

よつて、控訴人の本訴請求は失当としてこれを棄却すべきであり、右と同趣旨にでた原判決は相当であつて、本件控訴はいずれも理由がないから、民事訴訟法第三八四条第一項によりこれを棄却することとし、当審での訴訟費用の負担につき同法第九五条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(兼築義春 井田友吉 桜井敏雄)

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